LANDMARK 1 Lesson 8 単語の意味&本文和訳 保存倉庫


Lesson 8

The Mother of Women’s Judo
女子柔道の母

Part 1

official 公式の、正式な
event 出来事、競技、種目
at the time 当時
debut デビュー
play a ~ role ~な役割を演じる・果たす
rusty さびついた

area 地域
dangerous 危険な
in those days 当時
gang 不良グループ、ギャング
fist-fighting 殴り合い
therefore したがって
need to ―  ―する必要がある
enough to ― ―するのに十分な
defend 守る
at the age of ~ ~歳のときに
come across ~ ~に偶然出会う
through ~ ~を通して
turning point 転機


柔道は、日本で始まった一番人気のあるスポーツのうちの1つです。1964年、柔道は東京オリンピックで公式種目になりましたが、当時は男性だけのための競技でした。女子柔道は1992年のバルセロナオリンピックで正式にデビューしました。このデビューには、あるアメリカ人女性が大切な役割を果たしました。その女性の名前は「女子柔道の母」リーナ・ラスティ・鹿子木さんです。

ラスティさんは、1935年、ニューヨーク市ブルックリンの貧しい地区に生まれました。当時、その地域はとても危険な場所で、ラスティさんはそこでの少女不良グループのリーダーでした。街頭での殴り合いのけんかはラスティさんにとっては「スポーツ」でした。ですから、ラスティさんには自らを守れるくらい強くなる必要がありました。19歳のときのそんなある日、ラスティさんは友人の1人を通じて柔道に巡り合いました。ラスティさんにとって転機でした。


Part 2

practice 練習する
some people felt that ~ 何人かの人は~と感じます・思います→~と感じる・思う人もいます
should not ― ―すべきではない
take part in ~ ~に参加する
among ~ ~に間に、~の中に
wear-wore-worn 身につけている
wear one’s hair short 短い髪をしている
cover 覆う
chest 胸
tightly きつく
in spite of ~ ~にもかかわらず
training 訓練、練習
condition 状態、条件、環境

final 決勝戦
championship 選手権(大会)
happen to ~  ~に起きる
ask 人 to ― 人に―するようにお願いする
人 be asked to ― 人は―するようにお願いされる
fill in for ~ ~の代理を務める
injured 負傷した
teammate チームメイト
do one’s best ベストを尽くす
beat 叩く、打ち負かす
opponent 相手、対戦相手
as a result 結果として
win-won-won 勝つ

however しかし
victory 勝利
short-lived 短命の、つかの間の
judge 審判
notice ( that ) ~ ~ということに気づく
place 置く
medal メダル
each 1人ひとりの、それぞれの
later 後で、後に
call A into B AをBに呼ぶ
female 女性の、女性
nod うなずく

clearly ハッキリと、明確に
male 男性の、男性
yet しかし、まだ
give back ~ ~を返す
let her team win 彼女のチームを勝たせる
go through ~ ~を経験する
experience 経験
fight with ~ ~と争う
each other お互い


ラスティさんが柔道の稽古を始めたときには、女性は柔道に参加すべきではないと思っている人もいました。ラスティさんは柔道チーム40人の男性の中でたった1人の女性でした。ラスティさんは髪を短くして、しっかり胸を覆いました。こうした練習環境にもかかわらず、ラスティさんはとても熱心に稽古して、すぐに強くなりました。

1959年に、ラスティさんのチームはニューヨーク州のYMCA柔道選手権大会で決勝に進出しました。そのとき、何かがラスティさんに起こりました。負傷したチームメートの代わりに出場するように頼まれたのです。ラスティさんは、最善を尽くして、相手に勝ちました。その結果、ラスティさんのチームは優勝しました。

でも、ラスティさんの勝利は、つかの間のことでした。ある審判が(優勝)チームのメンバー1人ひとりの首に金メダルを巻いたとき、何か変なのに気づいたのです。その後、審判はオフィスにラスティさんを呼んで、「君は女性かね?」と尋ねました。ラスティさんはうなずきました。プレーヤーが男性でなければならない、と規則に明確に書いてはありませんでした。しかし、ラスティさんはチームを優勝させたかったら、メダルを返すように頼まれたのです。そんなわけで、ラスティさんは金メダルを返還しました。「どんな女性も、もう2度とこんなことを経験すべきではない。女性は柔道を行って、男性と戦うのではなく、女性同士が戦うことができるべきだ」と考えました。


Part 3

travel to ~ ~に旅をする、~に移動する
return to ~ ~に戻ってくる
organize 組織する、準備する、主催する
national 国内の、国民的な
coach 監督、コーチ
international 国際的な
at that time 当時
continue to ― ―し続ける
improve 改善する、向上する
status 地位

make money お金を儲ける
even ~  ~でさえ
borrow 借りる
continent 大陸
join 参加する
by the early 1980s 1980年代初め・前半までに
expect 人・モノ to ― 人・モノが―すると期待する
be sure that ~ ~ということを確信している
include 含む
still それでも、依然として
challenge 難しいけれどやりがいのある課題
meet 出会う、対戦する、経験する、対処する


1962年に、ラスティさんは柔道を学ぶために日本に旅行しました。米国に戻って、それから、柔道を教え始めました。1974年、ラスティさんは女性のための最初の全米柔道選手権大会を組織しました。その後、ラスティさんは米国の女子チームの監督になりました。1976年、チームは全英オープンに参加しました。当時、全英オープンが女子柔道のたった1つの国際的な選手権大会でした。アメリカ女子柔道チームは、毎年、全英オープンに参加し続けました。しかし、ラスティさんは、女子柔道が地位を向上させるためには、もっと多くの国際大会が必要だと思っていました。

1980年、ラスティさんはニューヨークで最初の女子柔道世界選手権大会を主催しました。ラスティさんは選手権大会のために、お金を稼ぐためTシャツを作り、お金さえ借りました。27の国と3つの大陸から選手たちが大会に参加しました。オリンピックに女子柔道が入るためには、この国と大陸の参加数が重要でした。1980年代前半までには、女子柔道がオリンピックの正式種目になると予想している人がたくさんいました。ラスティさんは、女子柔道が1984年のロサンゼルスオリンピックに含まれるだろうと確信していました。それでも、ラスティさんが取り組まなければならなかったもう一つの難しいけれどやりがいのある課題がありました。


Part 4

committee 委員会
reject 拒絶する
contact 接触の、接触、連絡を取る
be disappointed 失望する、ガッカリする
give up あきらめる
instead 代わりに
work hard 熱心に取り組む
even harder さらに熱心に
( even は比較級を強める働きをしています)
push A into B AをBに押し込む

supporter 支持者
prepare for ~  ~の準備をする
legal 法律の
action 行動、活動
legal action 訴訟
claim that ~  ~ということを主張する
discriminate 差別する
the mass media マスコミ
in favor of ~ ~を支持して

at the same time 同時に
federation 連盟
support 支持する
negotiate with ~ ~と交渉する
at last ついに
give in 折れる、屈する
exhibition 展示、展覧会、非公式試合
finally とうとう、最後に
accept 受け入れる

return A to B AをBに返す
praise 称賛する
life’s work ライフワーク、一生をかけた仕事
be satisfied with ~ ~に満足している
make sure that ~ ~ということを確実なものにする
fight for ~ ~のために戦う・闘う
fair 公正な

pass away 亡くなる
cancer ガン
spirit 精神
carry on ~ ~を引き継ぐ
throughout ~  ~の至る所で、~中で


ラスティさんの望みに反して、「女性がコンタクト・スポーツ(接触競技)に参加するのは、よくない」と言って、国際オリンピック委員会(IOC)は、オリンピック種目としての女子柔道を拒絶しました。ラスティさんは、IOCが言ったことが信じられませんでした。とても失望しましたが、決してあきらめませんでした。あきらめたりする代わりに、ラスティさんは女子柔道をオリンピックに入れるために、さらに一生懸命、取り組みました。

ラスティさんと支持者たちはIOCに対して訴訟の準備を始めました。IOCはスポーツで女性を差別していると主張しました。マスコミはラスティさんを支持して、記事を書きました。同時に、国際柔道連盟は、IOCと交渉することによってラスティさんを支持しました。ついに、IOCは折れて、女子柔道は1988年のソウルオリンピックで公開競技になりました。1992年のバルセロナでの次のオリンピックでは、女子柔道はオリンピックの正式種目として、とうとう認められました。

2009年8月、YMCAは(剥奪していた)金メダルをラスティさんに返しました。YMCAは女性とスポーツのためのラスティさんの人生をかけた取り組みを称賛したのです。「私は私に起きたことに満足していませんでした。同じことが2度と起こらないように、確実にしたいと思っていました。私が正しいということを示してきました。公正なことを守るために、私はいつでも闘うつもりです」と、ラスティさんは言いました。

2009年11月、ラスティさんはガンとの長い闘いの後、お亡くなりになりました。しかし、ラスティさんの精神は、世界中の女子柔道家たちによって受け継がれていくことでしょう。

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